第1章 第5節 北の空に走る光 ― 旅立ちの灯 ―

 翌日の昼、雪が薄く積もる明るい通りを、ユキミアはゆっくりと歩いていった。胸の奥には、昨夜古文書から感じた“囁き”がまだ残っている。

 スプーン亭の扉を押すと、暖かい空気と食堂の香りがふわりと広がった。奥の席でしろまるがこちらへ手を挙げた。

「ユキミア、こっちだ。」

 しろまるの前にはホットチョコレートが湯気を上げている。
「また見た目に似合わず甘いものですか」

 ユキミアが笑いながら向かいに座ると、彼は鎧の肩をわずかにほぐしながら問いかけた。

「いいだろう。それよりも……昨夜のこと、聞かせてもらえるか?」

 ユキミアは膝の上で指を重ね、小さく息を整えた。

「古文書のことですね。私……読めた気がしたんです。一部だけですが……。“黒き災いが訪れるとき、失われし知の民が再び光をもたらす”。これはおそらく“魔王の復活”と、滅びたとされる“ニンゲン族”についてだと思うんです」
 しろまるの目がわずかに細くなる。

「にわかには信じがたいが……昨夜の魔物騒動も以前ではあり得なかったことだ。辺境の地ならともかく、こんな街の中まで魔物がやってくるなど。しかし、お前がそう読み取れたのだとしたら、きっと意味があるのだろう。」

「はい。もしかしたら、私達が記憶を失っている理由……この本を持っていた理由……全部、ニンゲン族に関わっているのかもしれません。」

 ユキミアは自分の胸元のマフラーを指先で触れた。そこに刺繍された“310”の印が、なぜか遠い記憶の鍵のように思えた。

「……しろまる。私、ニンゲン族を探したいんです。昨夜の稲光も関係がある気がして……」

 しろまるは言葉を切り、ゆっくりと椅子から背を離した。重い鎧の肩を軽く回し、視線をユキミアへ戻す。その動きには“覚悟を固めた者”の静かな重さがあった。

「お前の直感は、案外よく当たるからな。俺はその意見に従うつもりだ。」

「本当に……いいんですか?」

「もちろんだ。」

 重い鎧の胸板を軽く叩き、しろまるは笑った。

「俺の役目は、お前が進みたい方向へ安全に導くことだ。たとえそれが魔王の待つ城だろうとな。」

 ユキミアの瞳に、ほんの少し光が宿った。

 そこへ、鍛冶屋の熊族が扉を押し開けて入ってきた。昨夜保護されていたパン屋の少年も、一緒に歩いている。

「二人とも、昨日は助かったよ。少年はしばらくうちで預かることになったんだ。」

 少年はユキミアに向かって深く頭を下げた。

「昨夜はありがとうございました。母が見つからなかったのは残念ですが……ぼく、がんばります。」

 ユキミアはしゃがみこみ、優しく彼の肩に手を置いた。

「無理はしないでね。私たち、しばらく街を離れるかもしれないけど……また戻ってくるわ。困ったことがあったら、いつでも頼ってね。」

 ユキミアがやさしく微笑むと、少年はぱちりと目を見開いた。
「え……お姉ちゃんたち、どこかへ行っちゃうの?」

「うん。昨日の騒動のことを少し調べに行こうと思ってるの。」

 少年は小さく唇を噛み、うつむいたが、やがて顔を上げて言った。
「……そっか。でも、なんか寂しくなるなぁ。」
「……寂しくなるのは私も同じだよ。でも、必ず戻ってくるからね。だから、その時はまた笑って迎えてね?」

 少年が去り、店内が再び静かになると、しろまるが窓の外を見た。北の空に、白昼にもかかわらず細い光の筋が揺らめいている。

「……あれは、昨夜の黒い稲光が走った方向だな。」

「北の山……あの辺りは白夜の森ですね。やっぱり何かあります。」

 ユキミアはゆっくりと立ち上がった。迷いの影はもうなかった。

「行きましょう、しろまる。あの光の先へ――ニンゲン族の手がかりを求めて。」

「了解した。」

 二人はスプーン亭を後にし、白い昼光の差す道へと踏み出した。北風がローブを揺らし、雪面には新しい旅路の足跡が刻まれていった。光は遠いが、その道の先には確かに“何か”が待っている気がした。

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