夜明け前の薄明かりの中、ノーヤはフェリアから東へ伸びる街道を歩き続けていた。背負った小さなカバンは軽いはずなのに、歩くたびに肩へ静かに重みがのしかかる。それは荷物の重さではなく、十五年過ごした屋敷を離れたばかりの心の揺れだった。
それでも足は止まらない。胸の奥に灯った“わたしの人生を歩きたい”という決意が、夜風よりも強く背中を押してくれた。
野宿を繰り返し数日、朝日の方角へ進むノーヤの視界に小さな街が見えてきた。フェリアから二つ先の商業中継地──ルスト。人の出入りが多く、旅人、商人、冒険者が行き交う賑やかな街で、早朝にもかかわらず活気がみるみる広がっていく。通りを行き交う人々の笑い声が耳へ届き、ここまでの疲労がふっとほどけた。思わず歩幅が少しだけ弾む。屋敷の規則も見合いの監視も届かない場所で、自由な風も“新しいノーヤ”を出迎えていた。
(知らない人ばかりの街に来るの、初めてだな。爺やには、まずギルドに加入することを勧められたっけ)
街の入口近くには、冒険者ギルドも兼ねた食事処《ナイフ庵》がある。外壁は少し剥がれているが、朝の光に照らされるとどこか温かい雰囲気を放っており、看板には風に揺れる羽根の紋章──ルスト支部の象徴が刻まれている。
扉の隙間から温かい湯気とお米が炊ける匂いが流れてきた。空腹を忘れて歩いていたノーヤのお腹が、思わずきゅるると鳴る。
(……いい匂い。こんな朝ごはんの香り、久しぶりだ。ここ数日は乾パンばかりだったからなぁ。でも……まずは、ギルドだよね。朝ごはんは、そのあと!)
ノーヤは両頬を軽く叩き、はやる気持ちを隠さずフォーク楼の扉を開いた。中には、朝の依頼を確認する冒険者たちがちらほら。皆、ノーヤを見てはすぐに自分の作業へ戻る。
(……誰も、わたしを令嬢として見ないんだ。本当の仲間も見つかるかな)
それは少しだけ心細く、同時に胸がすうっと軽くなる瞬間でもあった。
受付にいたヤギ族の年配の女性が、にこやかに声をかけてくる。
「おはようさん。見ない顔だねぇ。登録かな?」
ノーヤはこくりとうなずいた。
「はいっ。あの……冒険者になりたいです!」
言葉にした瞬間、胸がじんわり熱くなる。禁書を読んで胸の奥に灯った、あの小さな願い。その第一歩を、今ようやく踏み出したのだ。
受付の女性は、まるで孫を見守るような柔らかな笑みを浮かべて、書類を差し出した。
「ようこそルスト支部《ナイフ庵》へ。成人してるなら身分も種族も関係ないよ。今日からあんたも立派な冒険者さ。道は自分で切り開いていきな」
ノーヤは深く息を吸い、震える手で登録用紙を受け取った。
(……ここから、わたしの人生が始まるんだ)
その想いは、窓から差し込む柔らかな朝光とともに静かなギルドの空気へ溶けていった。



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