「……誰だ、お前は?」
ザットが低く唸るように問いかけた。泉の青白い光が、彼の目の奥の焦りを浮かび上がらせる。
猫族の青年は、まるで散歩の途中で立ち寄ったかのように肩をすくめた。 「通りすがりの魔法使いです。」
穏やかな声なのに、空気がひやりと冷える。ザットとグランが本能的に一歩後ずさった。 「その見た目、ルズーネスか……」
グランが吐き捨てるように言う。 「そんな華奢な体で、俺たちとやり合えるとでも?」
青年はにこりと笑った。眠たげな瞳の奥に、鋭い光がかすかに揺れる。 「力はねぇ、まったく自信ないです。でも――そもそも、僕に触れられないと思いますよ?」
ザットが苛立ちを隠さず、腕を振り上げる。 「舐めんなよ、小僧が!」
次の瞬間、ザットの足元で小さな風の渦が巻き起こり、彼は派手に尻もちをついた。 「……は?」
青年は片手を軽く上げたまま、淡々と続ける。 「魔法って便利なんですよねぇ。触られる前に避けられるし、触られる前に転ばせられる」
グランが吠えて突進する。しかし青年はひょいと避け、グランの背中を風の魔法で押し飛ばした。 ドン、と鈍い音を立てて岩壁にぶつかる。
「ぐっ……!」
青年はため息をついた。 「暴力反対なんですけどねぇ……困ったなぁ」
ザットとグランは目を合わせると、舌打ちをして逃げ出した。 「ちっ……覚えてろ!」
洞窟に足音が遠ざかる。静けさが戻ると、青年はゆっくりとノーヤの方へ向き直った。
「……大丈夫でした?」
ノーヤは胸を押さえながら必死にうなずき、落ちていた本を拾い上げようとした。だが青年が先にそれをそっと手に取った。
「懐かしい本ですよねぇ。まさか、これを持ってる人に出会えるとは」
ノーヤは驚く。 「これ……知ってるの?」
「ええ。昔、よく読んでたんですよ。最近は禁書になったとかで見かけなくなっちゃいましたが」
差し出された本を、ノーヤは両手で大事に受け取った。
「あ、ありがとう……助けてくれて……!」
「いえいえ。困ってる人を見ると放っておけない性格でして」
青年は照れくさそうに笑い、マントの裾を軽く払った。 「それじゃ、僕はこれで。泉の薬草、無事採れたみたいでよかったですねぇ」
ノーヤが名前を聞こうと口を開きかけたその瞬間――彼の姿はもう洞窟の出口へ向かい、淡い光の中に溶けるように消えていった。
残された静寂の中、ノーヤは胸に抱いた薬草と落ち着かない鼓動をそっと抱きしめた。
(……すごい人に会っちゃった)
初めての依頼は思わぬ形で幕を閉じたが、ノーヤの中には不思議な温かさが灯っていた。



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