第1章 第4節  魔物の出現 ― 凍てつく夜の中で ―

 夜空を裂いた黒い稲妻の余韻がまだ残っていた。普段なら雪に包まれ、静けさと白光に満ちているユーフロストの街。しかし今夜だけは違っていた。冷たい風が通りを駆け抜け、明かりを手にした人々が通りへ飛び出していく。遠くで鳴り響く悲鳴が、街の静寂を引き裂いていた。

 ユキミアは足元の雪を蹴りながら駆け出した。マントの裾が風に揺れ、青い布が夜の中でちらりと光る。月明かりの下、氷壁の一角が崩れ落ちていた。その向こうに、闇のような影が蠢いている。

「……あれは、魔物……?」
 見たこともない黒い獣。それは狐のような姿をしていた。長い尾が三つに分かれ、毛並みは闇を吸い込むような漆黒。雪を焦がすような熱気をまとい、赤く光る瞳が夜に浮かぶ。

 街の人々が後ずさりする中、ユキミアは咄嗟に杖を構えた。震える指先に魔力の流れが集まり、杖の先の宝珠が淡い光を放つ。

「癒えよ――《リューミナ》!」

 倒れた男の身体に光が流れ、焼けこげた腕の傷がゆっくりと肌の色を取り戻す。安堵の声が上がると同時に、魔物の咆哮が響いた。熱気を纏った息を吐き、機敏な動きでユキミアに迫る――。

 その瞬間、白い巨体が彼女の前に立ちはだかった。しろまるだった。重厚な鎧の肩に雪が積もり、金属が月明かりを反射する。

「ユキミア、下がれ!」

 巨大な盾が光を弾き、魔物の爪がぶつかると火花が散った。しろまるの腕がわずかに軋むが、踏ん張る足は揺るがない。

「無理はするな。俺が前に出る。」

 短く言い放つと、背中の大剣をゆっくりと抜き放つ。金属が低く唸り、重みのある一閃が夜気を裂きながら振り下ろされた。

 しかし魔物は影のように身をねじり、一撃を紙一重で避けた。しろまるの剣は空を切り、雪面に深い溝だけが残った。

「速い……! 今のを避けるなんて……!」

「避けられ続けては敵わんな……。ユキミア、あいつの動きを奪えるか?」

 ユキミアは頷き、杖を握り直した。光の紋が足元に広がり、青白い光が雪面を染める。

「凍りつけ、静寂の鎖よ――《フロスト・バインド》!」

 冷気が集中し、氷の鎖が魔物の動きを縛る。

「今です、しろまる!」

 しろまるが地を蹴り、雪煙が上がる。突き出した大剣が魔物の胸を正確に貫き、黒い獣はガラガラと崩れ落ちた。最後の熱だけを吐き出し、静かに地へ横たわる。

 ユキミアは杖を下ろし、雪の上に膝をついた。指先がまだ震えている。

「……悲しい目をしていましたね、あの魔物。」

「そうだな。……あれも、生きようとしていたんだ。」

 夜空では、遠くの山に残った黒い稲光の余韻がゆらりと明滅していた。

 雪が舞い始める中、街の建物から安堵の声が上がった。

「助かったぞ!」「魔物は倒れた!」

 鍛冶屋の熊族が倒れていた仲間を抱き起こし、魚屋のイルカ族は「けが人はいないか!?」と叫びながら崩れた家々を走り回る。

 そのとき、瓦礫の奥からかすかな声が聞こえた。

「……たすけ……」

 住民たちが雪と瓦礫を掘り返し、しろまるが太い柱をどかすと、その下に小さな影があった。パン屋の少年だ。

「よかった……無事だ……!」

 ユキミアが治癒魔法を施すと、少年は涙をこらえながら尋ねた。

「お母さんは……?」

 ユキミアは倒れた壁、崩れた屋根、雪の積もる通路へ目を向けた。しかし、どこにも母親の姿はなかった。

 住民たちも周囲を探したが、衣服や血の跡すら見つからない。

「あなたが無事で本当に良かったわ。大丈夫、必ず探すから。」

 少年は毛布に包まれ、住民たちと共に診療所へ運ばれていった。

 捜索は早朝まで続いた。しかし少年の母親だけは、影も形も残されていなかった。やがて、魔物に食べられてしまったのでは……という諦めの声がささやかれ始め、捜索はついに中止されることとなった。

 ユキミアは冷たい夜気を吸い込み、しろまるの袖をそっとつまんだ。

「……しろまる」

「母親のことか?」

「あ、いえ……古文書のことなんです。この騒ぎが起こる前に……少しだけ読めた気がして。」

 しろまるの耳が動く。

「読めたのか?」

「はい。本が……まるで“教えてくれた”みたいで。」

 ユキミアの瞳には、不安と決意の光が揺れていた。

「私たちは、“ニンゲン族”を探さなければならないのかもしれません。」

 しろまるは深く息を吐いた。

「……なるほど。詳しい話を聞きたいところだが、疲労も溜まっているだろう。続きは休んでからだ。」

 二人は疲れた足取りで朝日が混ざる白い道を歩き出した。雪の上には並んだ足跡だけが残り、弱い風がその跡を静かに消していった。

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