「さてさてギルドの登録も終わったし……ご飯にしよっと!」
胸の奥がふわっと軽くなる。昨日までの窮屈な毎日が嘘のように、ルストの朝は自由そのものだった。 早朝のナイフ庵には、すでに冒険者たちが集まっており、注文の声や皿の触れ合う音が活気を生み出していた。
ノーヤは初めての“ひとり朝食”に胸を弾ませ、焼きパンと卵の朝定食を注文した。ほんのり甘いパンをちぎって口に入れると、外側はカリッと香ばしく、中はふわりと軽い。卵はとろりとして温かく、舌の上でやさしく溶けていく。
「おいしい……!」
ふと漏れた声が、彼女自身を驚かせた。自由になってからの最初の食事は、想像していたよりずっとあたたかく、胸に広がる幸福感が止まらない。
しばらくして、羊族のおばちゃんが皿を下げながら声をかけてきた。 「はい、お会計500syrね」
ノーヤはきょとんとして首を傾げる。 「え? 5000じゃないの?」
差し出した1万syr金貨を見たおばちゃんは、思わず声をひっくり返した。「誰がこの店の朝食に5000も払うんだい! お嬢ちゃん、ほかの小銭は持ってないのかい?」
「えっ……あ、金貨しか持ってこなかったの……」
ノーヤが袋を差し出すと、口がふわりと開き、中にはぎっしりと1万syr金貨が詰まっていた。
「……おやおや、本気で全部1万syrなのかい? これ、ざっと100万syrはあるよ?」
「えっ……そんなに? 多いのかな……? 外で買い物したこと、ほとんどなくて……」
おばちゃんは頭を抱え、声を潜めて囁いた。 「どこのお嬢さんだいまったく……そんな大金、悪い奴に“ください”って見せて歩いてるようなもんだよ。ほら、早く財布を閉めな」
ノーヤは頬を赤らめ、そっか……と胸の内で納得して、小さく「ありがとう」と呟いた。冒険者の街には、彼女の知らない常識が山ほどある。だが、その一つ一つが新鮮で、心は少しずつ前向きになっていく。
「さて、お腹もいっぱいになったし……いよいよ依頼を受けてみようかな!」
掲示板には朝日が昇りきる前から依頼票が並び、次々と冒険者たちに剥がされていく。その勢いに圧倒されつつも、ノーヤは胸を張って受付へ向かった。
ヤギ族の受付女性が優しく微笑む。 「初めてなら、これなんてどうだい。“洞窟奥の泉にはえる薬草の採取”。ここは清らかな地でね、魔物もほとんど寄りつかない。初心者にはちょうどいいよ」
報酬こそ控えめだが、安全性の高さが何よりの魅力だった。
(洞窟……ちょっと怖い。でも、薬草を採るだけだし……!)
ノーヤは勢いよく頷いた。
依頼票を受け取り、ギルドを出て街外れへ向かおうとしたそのとき――背後から声がかかった。
「初心者さんだろ? さっき登録してたよな」
振り返ると、ジャッカル族とアナグマ族の二人が立っていた。 灰色の毛並みが鋭い印象を与えるジャッカル族が顎を上げる。 「俺はジャッカル族のザットだ」
丸太のような腕を叩くアナグマ族が笑う。 「オレはグラン。よろしくな」
「洞窟の泉だろ? あそこは魔物こそ出ないが、意外と迷いやすいんだ。ちょうどそこまで行くし、案内してやろうか?」 「初心者のうちは誰かと行った方が安全だからな。遠慮すんなよ」
声は柔らかいのに、距離の詰め方がどこか唐突だ。だが、初依頼への緊張が勝ち、ノーヤはひやりとした感覚を胸の奥に押し込んだ。
「……ありがとうございます。それでは少しだけ、お願いしてもいいですか?」
「任せときな、お嬢ちゃん」
二人は得意げな笑みを浮かべていた。
三人で街道を歩く。ザットは洞窟攻略のコツを軽く教え、グランは暗闇での判断方法を得意げに語る。二人の言葉は思いのほか実用的で、ノーヤは「冒険者ってすごい……」と感心しながら耳を傾けた。
やがて洞窟の入口が姿を現す。影の奥にぽっかりと空いた闇から、冷たい風が漏れてくる。
「よ、よし……行ってみよ……!」
足を踏み入れた瞬間、湿った空気が身体にまとわりついた。岩壁を伝う水滴の音が反響し、ランタンの炎が揺れるたび影が踊る。
「洞窟ってこんなに暗いんだ……本当に大丈夫かな……?」
それでも二人は頼りになった。段差の注意、足元の危険、進む方向……的確に声をかけてくれる。
ノーヤは何度も深呼吸しながら、一歩ずつ進んでいった。
やがて水音が柔らかく響き始め、通路が開けた。青白い光が差し込み、泉の水面が静かに揺れている。
「わぁ……きれい……!」
ノーヤはそっとしゃがみ込み、依頼書に書かれた薬草を丁寧に採取していった。瑞々しい茎が指先に触れるたび、冒険者としての“初仕事”の実感が胸に広がる。
「よし……これで依頼完了……かな?」
束ねた薬草を抱え、ほっと息を吐いた――その瞬間だった。
背後から、冷えた声音が落ちてきた。
「――で、だ。」
ザットの声は、これまでとはまるで別物だった。岩肌よりも冷たい響きが洞窟に広がる。
「そろそろ出してもらおうか。お前の“財布”をよ」
横目に見ると、グランも獣のように口角を吊り上げていた。
「案内料だよ。……さっき食堂でチラッと見えたんだ。お前、ずいぶん“いい袋”持ってるじゃねぇか。最初からそれをいただくつもりで来てんだよ」
ノーヤの足が震える。 「そ、そんなの聞いてないよ……!」
「聞かせるわけねぇだろ。ほら、財布を――」
グランがカバンを乱暴に引きはがした。その拍子に、一冊の本が落ち、乾いた音が洞窟に反響する。
ぱさり。
――『ケモノとニンゲンの狭間の勇者(上巻)』
タイトルが揺らめくランタンの光に照り返った瞬間。
「……ずいぶんと趣味の悪い“案内”してるんだねぇ」
洞窟の入口側から、静かな声がした。 三人が振り向く。
薄明かりを背に、長めの前髪をふわりと揺らす猫族の青年が立っていた。緑の瞳は静かで、どこか眠たげだ。細身でしなやかな体つきに、ミント色のマント――獣の血が薄い“ルズーネス”特有の、人に近い柔らかな雰囲気をまとった、不思議な気配の青年だった。



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